フサキ日記

2025年06月23日

夏至を経て、本日は、慰霊の日。そして、「七月念仏」


(写真: フサキビーチにしつらえた焚き火。この春の大型連休に開催されたIsland Echoより)

1945年(昭和20)、第二次世界大戦下において、米軍を主体とする連合国軍と日本軍は、 沖縄で激しい地上戦を行いました。沖縄戦は、太平洋戦域での最大規模の陸戦であり、最激戦の一つと言われています。
沖縄戦終結から16年が経った1961年(昭和36)、琉球政府立法院は、「住民の祝祭日に関する立法」(1961年立法第85号)において、沖縄の戦没者の霊を慰め平和を祈る日として6月23日を「慰霊の日」に制定しました。
復帰後は、沖縄県が「沖縄県慰霊の日を定める条例 (昭和49年10月21日条例第42号)」を制定し、現在に至ります。
[ 沖縄県公文書館 公式サイトより引用 ]

 
 
夏至を経て、本日は令和7年6月23日、「慰霊の日」です。6月23日の正午12時には、大きなサイレンが鳴り響きます。沖縄戦における日本軍の組織的戦闘が終結して80回目の「慰霊の日」をむかえます。この日、6月23日正午12時、黙祷のサイレンを合図に人々は沖縄の戦没者の霊を慰め平和を祈り、黙祷を捧げます。

私の家は石垣島の新川漁港のすぐ近くにあります。離島フェリー・ターミナルもすぐ近くにあります。6月23日正午12時に蒼く輝く東シナ海の日々忙しく働く船舶が、静止し、一斉に、船舶のサイレンを鳴り響かせます。海をこえて、島にサイレンが鳴り響き、この島で祈る。八重山に移住してからこの祈りの時間をわたしは大切にしています。

(写真: 大石定治さん、この春の大型連休に開催されたIsland Echoより)
 
 
祈り | 「七月念仏」
八重山の「七月念仏」を大石定治さんが教えてくれました。大石定治さんはフサキビーチリゾートの屋外レストラン・カーチバイ・ステージにレギュラー出演をしてくださっています。

昨年の豊年祭が始まる頃、夏のことでした。

八重山に限らず、日本やアジアには、古来から旧暦に倣う伝統行事としての「祈りの日」がほぼ毎月あります。「祈りの日」をカレンダーで読むとる度に、わたしは、この念仏を幾度となくふと思い出すのです。自分が身を置く世界に愛情や情熱を持って生きる八重山の心を感じることができるからでしょうか。特に、この「七月念仏」の第三節を読むととても(心の)耳に残るのです。

(三)
六十ャ六フニ 書キタティティ
七十ャ七夜二 読ンアギティ
天ヌヨー中ビマディン ウシヤギムキ

(現代語訳)
六十は六日で書いて
七十は七夜で読みあげて
天の中空まで差しあげる

「七月念仏」。
現代に伝承されているうたのような念仏、その現代語訳、全文を引用します。

七月念仏・原文

(一)
今ハョー十三 ナルチクテンシ
アヌ山寺マディン 参リトム
西ニョー向ユティ 経文書キ

(二)
東二向ユティ 経文読ミ
書クタル経文ヤ父ガタミ
読ムタル経文ヤ 母ガタミ

(三)
六十ャ六フニ 書キタティティ
七十ャ七夜二 読ンアギティ
天ヌヨー中ビマディン ウシヤギムキ

(四)
ワリンナカユクトゥイヤシナムヌ
ムヌヌョーナチカシ 夏ヌ山
キュヤーイチャヤティド タンナユル

(五)
今日ヌ夜ヤ 七月中ヌソーロン
苷蔗ヌスラ ウリナスビキザンムヌ
ススイヌハンキヌ 水スイティ

(六)
ウキトゥリタマワリ グヂ乳母
ウキサシタマワリ 父ユ母
残タル茶水マデン クブシュラ

(七)
花ガリヌ水マデン クブシュラ
スリヌ水マデン クブシュラ
ウリカラド 我が親ヌ タミニナル
スンジャナガリヨー ナムアミダブツ

(現代語訳)
(一)
今は十三日の月である、
あの山寺まで参って
西に向って経文を書き

(二)
東に向って経文を読み書いた経文は父のため
読んだ経文は母のため

(三)
六十は六日で書いて
七十は七夜で読みあげて
天の中空まで差しあげる

(四)
賤しい者 もののなつかしいのは夏の山
今日はどうして こうなる

(五)
今日の夜は 七月のおぼんの中の日
さとうきびの茎 瓜、なすびの刻みものすすいの水添えて 受け取って下さい

(六)
従兄叔母 受け取って下さい
父よ母 残った水までこぼします

(七)
花いけの水までこぼします 送り水までも
こぼします それで我が親の ためになる
尊者よ南無阿弥陀仏

[ 七月念仏 | 石垣島・大浜村伝承・言い伝えから部分引用 (大石定治さんより提供) ]

念仏といえば、学生まで過ごした京都にある中堂寺六斎念仏をわたしは忘れられません。
まつりと – 日本のまつり探検プロジェクト」ウェブサイトで地域と風土をテーマにする文筆家・選曲家の大石始さんが教えてくれます。

「托鉢用の鉢と瓢箪を打ち鳴らし洛中の街角で南無阿弥陀仏を唱えて人々の不安を取り除いた」(中堂寺六斎会の公式サイトより)という平安時代の僧侶・空也の鉢叩き念仏を起源とする六斎念仏のことです。


(写真: フサキビーチの砂の城を発見。きっとゲストのどなたかが建築した砂の城。珊瑚の石の天守が美しい)

六斎念仏と七月念仏。わたしにとって、このふたつは「人々の願いや祈りと結びついた特別な行為」であるという点で、源流を同じくする念仏、うた、踊り、であるのかもしれません。平和の時代が今、ここに在ることに感謝の念をこのふたつの念仏で胸に刻みたいと思います。

実に、私たちの歴史において、慰霊の日が制定されるのに沖縄戦から16年も必要でした。果たして、私たちの16年後、人々はどうしているのでしょうか。町はどうなっているのでしょうか。今日というこの日に、平和に感謝し祈りを捧げたいと思います。

さて、本日の「慰霊の日」のカーチバイ・ステージは18:15からです。出演は、七月念仏を教えてくださった、大石定治さんのステージです。八重山の祈り、男女の社交、コミュニティーの「ほんとうのこと」に小さく触れる場があります。ディナー予約がなくとも、ライブ観覧の入退場は自由です。是非ご来店ください。

慰霊の日は、沖縄の学校はお休みです。家族や地域の行事が密やかに各地で開催されています。八重山の音楽愛好家や唄者が協力し主催する「慰霊の日コンサート」が先に述べた大石定治さんの住む大浜集落・大浜公民館で開催されます。夜の19:30すぎからです。どちらも入場無料です。ここにこそ、八重山の祈り、男女の社交、コミュニティーの「ほんとうのこと」に小さく触れる場があります。旅の記憶に八重山の優しさと心を寄せて、カーチバイ、大浜公民館、石垣島の滞在で楽しい時間をみなさまがお過ごしであることを心から願っています。

マーケティング部・エンタメ担当:二村俊和


(写真: フサキビーチリゾート・アクアガーデン遠景、東シナ海より)

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